私が生まれたのは、戦後の団塊の世代のすぐ後のことでした。
沖縄という地は、唯一の地上戦が行われていて、戸籍がすべて焼失した為、戦没者は不明のまま。
一家全滅の場合はもとより、家族が生き残っていても戸籍のないままの幼児もたくさんいたらしい。
私の母も9人兄弟だが兄と妹と母を入れて3人が生き残り、両親と他の兄弟合わせて9人をなくしている。
父は、満州からの引揚者で、5人兄弟だったが、生き残ったのは自分一人だけだったようだ。
母は戦争で夫と幼児をなくし戦争未亡人だったようだが、戦後満州から引き揚げてきた父と出逢い結婚した。
戦後、沖縄では生き残った事が奇跡のようなことで、死んだ人も哀れだったかもしれないが、生き残った人の生活は凄まじいものであったと思う。
父から戦争の話は一切聞いたことがない。
父は背中から脇腹にかけて3,40センチの傷跡のことについては一言も言わなかった。
母も聞いたことがなく、父は毎晩一人でうつむき加減で酒を飲んでいた。
母もまた戦争のことは何も話さなかった。
あまりにも酷いことで口にするのも辛いことだったんだろう。
それでも私が中学生くらいになると、母の妹と二人で、ヒソヒソと昔の話、それも戦争で爆心地の中を逃げ惑っている話を、しているところに出くわした。
私はそーっと聞き耳を立てて聞いていた。
母の妹は結婚していたらしく幼子をおぶって、爆心地の中を逃げ回っていたらしい。
背中の幼子が死んだらしく、その子を壕の中に置いて南に向かって非難した。
戦争が終わって、幼子の骨を拾いに行ったら、壕の入り口を出た辺りで死んでいる我が子を発見したらしい。
おかっぱ頭の小さな遺体が骨化して横たわっているのを見て「あ,あの子は息があったんだ」と母とその妹は泣き崩れていた。
私はそのそばで隠れて泣いた。
みんな肉親を目の前で亡くしたり、幼い子をおいて行ったり、どれほどの生き地獄を味わったんだろう。
私の子供の頃、おじいちゃん、おばあちゃんの年寄りを見たことがなかった。
みんな戦争でいなくなった。
焼け野原を整地し、田畑を耕し、父も家をたてた。
私が1、2歳の頃だった。
大黒柱が運ばれてくるのを覚えている。
父はアメリカ軍の軍作業に勤めて、帰ってから畑仕事に精を出し、働き者の両親だったと母の妹の叔母から聞かされた。
我が家は土地があったので、畑も田んぼもあったし、家を建てることもできたけど、まだまだその日暮らしの人々は多かったらしい。
みんなが貧困に喘いでいた。
生きて行くのが精一杯だった。
沖縄の地は成仏されないままの魂がいたるところにいて、計り知れない悲しみを含んでいる。
だからか、逆に島民はやたらと明るい。
みんな酒を飲んでは三線を弾き飲んで歌って踊りまわる。
沖縄では生年祝いが派手に執り行われる。
13歳、61、73、85、97歳の長寿の祝いを親戚縁者を100人も呼んで結婚式並みに祝う。
その時は必ず舞台では沖縄の祝いの踊りの「かぎやで風」を身内で踊る。
生き抜いてきた命への、並々ならぬ思いが、長寿祝う気持ちにさせるのだろうと思う。
沖縄では「命が宝(ぬちどうたから)」命があってこそ!という諺をとても頻繁に使う。
だから生きていりゃ何とかなるさー = ナンクルナイサーということをみんな合言葉のように言う。
これは沖縄の地上戦を体験してきた、島民の生きる術だったのだろうと思う。
みんな身内を亡くしている深い悲しみを秘めながら、たくましく生きるためのナンクルナイサーなんだろう。
生きるのが精一杯の時代において、家庭内では体罰も頻繁にあった。
学校の先生だって体罰はあった。
それが正しいとされてる時代だった。
時代によって価値観も正義も変わってくる。
その時その時の、信じていることで人は動く。
戦争が終わって70年余、時代は大きく変わっていった。
私が子供の頃に見た世界と、大人になってから見た世界と、そして今この時代と自分が子供の時に親から受けた価値観と、自分が子育てをする時の価値観と、そして自分の子供が子育てする環境と価値観があまりにも違いすぎる。
今の時代の価値観は、こうだから・・といって、PCのOSを取り替えるように価値観を変える訳にはいかない。
それには大きな脳の動かし方を変えるしかないほどの変化だ。
昔は5, 60代で死んだから、同じ価値観で生きていけたかもしれないが、80,90歳まで生きるこの時代では、価値観の転換をしないと生きていけない気がする。
どう生きていけばいいのか、どう子育てをしていけばいのか、その時自分の経験値に沿って、その時の自分の価値観に沿って生きるのが精一杯だった。
育ったその地域や世の中の常識だったり、お家の常識だたり、その時それが正しいと信じて生きてきた。そのほかに生きる術を知らなかった。
みんなアダルト・チルドレンだった。
その頃の子供はみんなアダルトチルドレンだった。
アダルト・チルドレン(AC)とは機能不全家族の中で育った子供達のことで、NOが言えず自己肯定感が低く生き辛さを抱えた人をいう。
戦後の日本の家庭は概ね機能不全家族と言われている。
生きるのが最優先の時代背景もあると思う。
それでも目の前の目標に向かって頑張るぞー、という急成期時代は日本人はみんな元気だったと思う。
その後バブルがはじけてから、景気も飽和状態になり、幸せ感や価値観が急激に変わってきたのだろうか。
集合無意識の価値観の中で、生きるのが精一杯だった親はACであったし、そのまた親もACだったかもしれない。
その連鎖が自分の子供にも繋がっていた。
としたら、この連鎖を止めるのは今の時代の使命のような気がする。
今、21世紀は心の時代と言われている
時代の価値観が大きく変わり、学校や職場で、ついていけなくなりうつ病の人が増えている。
これは制度がこのままでは機能しないと言う前触れではないかと異を唱える人も続出してきている。
不登校の子供たちや、ボス型マネージメントの会社には勤めない若者の増出は、何を物語っているのだろうか?
「ありのままに生きる」と言う映画がヒットしたり、自分らしさにこだわる商品が売れたり、時代が今、何を求めて生きるのかを問われていると思います。
援助職や癒しの職業も増えました。
カウンセラーもその一つです。
自分らしさを取り戻すには、自分の内面を観ていく事が一番ですが、自分を内観するだけではどうしても、難しく、そこには、集合無意識に紐付いている大きな時代背景、その時代の価値観も観ていかなければならないとつくづく思います。
家族の連鎖もまた然りで、その家族の中で綿々と引き継がれた家族のルールの中で、家族は互いに影響しあい、つながりあっているので、自分を探求するときには、家族、とりわけ親子の関係性というものは避けられない領域だということになります。
人は全て繋がって生きているんだと実感するところです。
自分と家族との関係性。
家族の中の自分の立ち位置。
自分を探求すると必ず紐ついてきます。
それぐらい深いご縁の間柄だということです。
今世はどういう学びがあって、この父とこの母を選んで生まれてきたのでしょうか?