人は1人では生きているのではないと言う事は、誰でも認識していることではありますが、あまりにもそれが当たり前すぎて日常の中でふと、あーほんとに1人では生きていないんだと気がついたとき、あなたの中にどういう感情が出てきますか?
人の悩みの多くは人間関係が占めています。
その中でもダントツに多いのは家族関係でしょう。
自分の心の内側の悩みがあまりにも深く、私の手には負えないというところに来た時、そういうときには「家族の座を立てる」というメソッドを使うと、より明確になります。
ファミリーコンストレーション・「家族の座」という手法です
私は先週末、スキルアップのため、私の師匠の主催するファミリーコンステレーション講座に参加して来ました。
コンストレーションとは星座を意味する単語。
配置・布置と訳すこともあり。
自分の家族をコンストレーションとして配置することで、自分の人生を見える化してより多くの視点から自分の人生を見る事が出来ます。
自分を中心とする家族の登場人物をその場に立ててみて配置をしてみて、それを顕在化してみたときに、どういうことが見えてくるか。家族の中の目に見えない関係性が、目に見えるように、「今ここ」の空間に浮かび上がらせるアプローチです。
家族という特有の集団が抱えている問題を外在化、視覚化、イメージ化することで家族という人間関係を生きたエネルギーの力動として見ることが可能になります。
人は1人では生きていないということが本当に分かる瞬間です。
人はすべて関係性がもつれて悩んでいます
自分との関係性。
家族との関係性。
他者との関係性。
仕事との関係性。
世界との関係性。
関係性の歪みやもつれを丁寧にひもとき、人生の問題を成長の糧にし、本来の自分らしさを思い出し、人生の目的を生きられるようにサポートすることが、コンステレーションの目的です。
10人いれば10人のそれぞれの人生模様があり、その人を取り巻く壮大な関係性が連なっています。
私と母親との関係性は、母親とそのまた母親との関係性にも繋がっていた。
そして兄弟がいれば兄弟との関係性にも深くつながっていた。
関係性が深ければ深いほどその糸のもつれは深く絡まっていくのです。
私が母親との違和感を感じる時、どうしても理解できない壁を感じるその時、立場を変えて母親がそのまた母親との関係性を見ていった時にそこに初めて見えてくる世界があります。
私も生きづらかったけど母親もまた自分の親とのあいだで、生きづらい人生をしていたんだということが見えた瞬間、そこに、時を越えて時代を超え、そうだったのかという腑に落ちる感があります。
そこにはその時代ならではの理由があったり、その時代の価値観だったり、集合無意識の力動が動いていたりするものです。
それは決して自分一人を探求してみてもおよそ検討もつかない想像もつかない世界なのでしょう。
座を立てた時のエネルギーを観て、~ねばならない、~すべきだの家族の無言のルールが浮かび上がってきたりします。
そのエネルギーを自分が無意識に背負っていたとしたら?世代間の連鎖だとしたら?
この感情は私のものではない。
お返ししようと気づく事。
その関係性を丁寧に紐解いて、自分の役割だと信じていたものを解き放ち、自己同一化とのバウンダリーに気づいていく。
という事が重要になります。
愛ゆえに引き受けていた、家族の誰かの役割と感情の同一化。
気付いて手放し、私、本来に還っていく。
この流れを見た時、人は誰も悪くない、愛ゆえに誤解してもつれてゆくんだなあと思うのです。
未解決な問題は時間と空間を超えて存在し、世代間連鎖をすると言われています
本人の未解決な問題ではなく、親や祖父母の未解決な問題が「いまここ」に浮上していることがあるということです。
そのことに自分が気づき、新しい選択をする。
自分自身の本来の立ち位置に戻る事で、本当の自分の人生を生き始める事ができるのだと思いました。
改めて人は一人で生きているのではないと、しみじみ思うのです。
講座の課題図書がファミリーコンストレーション
隠された愛の調和